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旧日光川の流れを辿って【夜ポタ】

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日光川‥

愛知県江南市に流れを発し、一宮中心部を突っ切り、稲沢、津島を経て伊勢湾に注ぐ河川。そもそもは萩原川という濃尾平野を流れる木曽八流の一つで、江戸時代初期に御囲堤ができてからは水源を持たない川。河床勾配が緩すぎる&下流部が海抜ゼロメートル地帯を持つのが特徴の河川だ。そんな日光川の中流部には旧河道があるらしい。知ったからには行ってみたい。

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目指すは稲沢市平和町。
日光川の流れが直線になるあたりのエリア。こういった不自然な川の流れには"何か"がある。

川といえば「侵食・運搬・堆積」という作用があることはご存じだろう。
平野部において河川の流速が低下すると、砂による堆積で天井川になってしまう。そのため人々はより直線的な水路を作ることによって流速を早め土砂の堆積を抑え、洪水被害を減らそうとした。つまり現在の直線的な流れは人工的な流れで、かつての流れは違う場所にあると推測できるわけだ。

夜にも関わらず、ポタリングがてら現地を訪れてみることにした。





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21時過ぎに流れの始まりと思われる愛西市草平町に到着。
河川跡にありがちな祠があるけどここは流れではないはず。

津島周辺

しかし「中世の津島の景観とその変遷」という論文を読むと、1700年代後半まで現在の領内川を下らず南下し、津島で天王川と合流してたという記述があった。確かに草平の集落の南には、"河原町"といった川にちなむ地名が存在したり、愛西市町方町松川付近には不自然に筋状に伸びる自然堤防が存在している。一方で、草平の集落は自然堤防上に存在している。このあたりは少し謎なので追々調べてみようと思う。


a-b-a案

地図の左側の大きな流れが前回紹介した佐屋川
川は幾度となく流れが変わるのでわかりづらいが、国土地理院の「土地条件図」を分析した限りこのような流れだったのではないかと推測できる。

話は戻して…

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このあたりが日光川の流れがあったと思われる場所。現在は領内川の整備に伴い締め切られている。堤外地に流れが存在していない以上、堤防を開ける必要はない。

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橋を渡り、対岸の稲沢市平和町に入ると典型的な旧河道地形に遭遇することができた。
誰が見てもはっきりわかるほど日光川の旧河道は水田化されている。

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旧河道の両脇は自然堤防になっていて古くからの集落が存在する。
集落と集落を結ぶ堤防上の道には神社や祠がある。これもいつもの流れだ。

いつも二之瀬越に向かうときに通る県道を横断して、ヨシ○ヤ平和店は河川跡にあったんだと気づいたり。

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旧河道は軟弱地盤であることが多く、近年まで宅地化されなかった場所が多い。
そのためまとまった土地が手に入れやすく大規模商業施設や工場・倉庫などに転用されがちだ。

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一方で開発により宅地化されてしまった箇所も多い。
戦後急増した日本の人口を賄うためには致し方ないのかもしれないが少々不安も残る。

その後、新興住宅地を彷徨っていると日光川の微妙に低くなった土地を発見。
近づいてみると…

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水路だ。
この水路が日光川の澪筋(みおすじ)だったわけはない。
しかし、水路の位置が澪筋の位置と一致する可能性はある。

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こちらが現在の日光川。
流速は遅く、下流域ではポンプ頼みの排水。
往時の日光川はどのような河川だったのだろうか?

ここから先は一宮の先まで行かないと面白いエリアはないので調査終了。
せっかくなので自然堤防上の道を一宮市玉野まで走ることにした。

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祖父江町森上までは集落があるのだが、その先は暗闇。
ところどころ墓があって少々不気味。

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玉野のサークルKで補給をして西中野から木曽川堤防を高速巡航。
うっかりルートミスして雑草ボーボーの道に突っ込んだ結果、イネ科花粉を悪化させたわけですが^^;

夜ポタを兼ねての訪問でしたが、夜はおすすめしません。
まぁ、新ルートも開拓できたので良しとしましょう!

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